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  • cajitadecoloresf

原点に戻っていく。


自分がフラメンコの練習をひたすらしていた時はやはり形からだと思っていたので、スペイン人の体型から生まれるポーズをガン見して真似しようとしていて、今思えば身体の構造無視してハードな練習とかしてましたので、そりゃぁ歪みますよね笑。

クラスを始めることになって、身体というものを向かい合わせで見ることになり、改めてどうして身体はそのように動くのかというイメージが浮かんできました。何か核となるもの、原点のようなものを感じました。それは生徒さんに伝えたいことでもあるんですが、生徒さんそれぞれの身体が感知しているものは違うので伝え方を工夫したりする中で自分にフィードバックしたり、相互の身体を行ったり来たりしながら気付くことが沢山ありました。バランスワークのクラスを始めてからも更にそれは一層深くなっています。

自分の身体はやはり自分では分かりにくいです。それは知識が有る無しの問題ではなく単に角度の問題です笑。実際グループクラスだと、おひとりの身体の状態を説明していると、そばに居た方はなるほどね、とよく頷かれます。そうゆう時は外側から入ってきた知識からではなく、自分の眼で内側から自然に理解されてるんですよね。この自然に理解するということは、自分も同じ身体を持っていて、内側にすでに備わっている感覚も皆んな同じく持っているということなんですね。

そこから、本来の身体だとどうなのかとか、今の状態からどう改善すればいいのかなどに繋がるのですが、頭を使うならばそこからです笑。先天性、後天性両方含めて、身体を構成しているそれぞれのパーツの形、大きさ、弾力性諸々はみんな違って当たり前です。身体は私達を取り巻く世界に直面していて、求める求めないに関わらず常に何かを吸収しています。そのパーツ達がどう機能したら、その吸収したエネルギーが滞らずにうまく巡って再び身体の外側の世界へ解放されていくか。その機能の仕方が同じであって、それが感覚というものだと思います。

本来の身体というのは正しい形という意味ではありません。生き物の体というものは、それ自体が可能な限り生き長らえようとしている、と聞いたことがあります。人間で言うとホメオスタシスと言われる調整機能が働くということですが、身体は有限です。果てしなく増えていくとか、利便性の追求、いわゆる身体にとってのではなく私の都合がいいようにの方ですよ笑、は自然に反しているし、限界が決まっている身体にとっては負担になります。

有限の中では、新しいものを取り入れるのはあくまでも元々あるものがより良く機能するためで、違うものに変化するわけでも大きくなるわけでもなく、自然、命の原点に戻っていくためです。原点とは何かを正確に説明するのは難しいですが、元々あるもの自体が限りなく大きく深いもので、私達はそこから始まっています。でも始まる理由がそこにあったはずで、私達の無限の力はそこにあります。原点に戻れば戻るほど可能性は広がっていき、極端に言うと、健康でいるというよりはたとえ問題があっても心身共に丈夫でいられることが自然の摂理で、知識は感覚を生かすために有益ですが、それは答えではなく、まずは自分の身体を信じるところからしか始まらないんじゃないかな。感覚とは与えられた言葉がヒントになることはあるとしても、最終的には自分にしか感じることが出来ない唯一無二の産物で、それがその人らしさを形成しているものだから。

今時代が、世界が急激に変化していますね。昭和人間の私にはそりゃもう大変ですよ。

新しいものや斬新なものももちろん刺激として生き生きとした身体を保つには必要です。でもこの原点に戻っていく感覚は、いにしえの時から変わらず人間の中に存在して、これからも人として生まれてきた私達の本能を生かし続けて行く、宇宙の普遍の営みぐらいに私は思っています。


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