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  • cajitadecoloresf

Like a Rolling Stone

更新日:3月20日

ここ近年、調子良くなってきたぞと思っていたら落ちることが起きる→調子狂う→振り出しに戻る、みたいなサイクルでしたが、昨年後半から気分もいいし流れもなんかいい感じじゃん!て運気的に手ごたえも感じていたら年明け早々まん防スタート、それも2か月。

初めはまたかよ、って思ったけど今回は私のオタク欲を思いっきり満たしてあげようって決めて過ごしてみましたらめっちゃ楽しくて、不謹慎ごめんなさい、まん防明けるのが悲しいくらいだったんだけど、明けたら明けたでフラメンコもバランスワークも今年は何かやってやるぜイメージがわくわく湧いてきて、世の中暗いニュースばかりの中ほんとに申し訳ないけど、やる気まんまんです。

がしかし、自分が調子がいい時=全てがうまくいっている、わけではないんですよね。

逆に調子が悪い時ってどうかと言うと、皆さんも心当たりあると思いますが、"何かに頭と心が囚われている状態"です。

全てがうまくいってないわけではないのに、なんかうまくいってないように思ってしまう。おまけになんだか体調も悪くなってきた…悪循環のスタートです。

でも調子がいい時は全てがうまくいっているわけでもない、体調もそんなにいいわけでもなくてもまぁいいかと思える、じゃないですか?

起きている現象と自分の受け取り方を別の問題として見てみるのはどうでしょう。

起きている現象は自分1人の力ではどうにも出来ないことです。仮に自分が発端だったとしても、世界に放ってしまった後はそれはもうその世界の問題になります。

ここで循環「みんなの課題」がスタートします。自分の力不足を責める必要は一切なし。

だって人間誰しも完璧前提で生きてないですから。自分を疑うなら、自分の受け取り方にまずはフォーカスしてみる。そこでとにかく主観を排除する、これだけでも次に自分は何をしたらいいか気づいたり、って言うか冷静になります笑。

冷静になる前に答えを出そうとすると、どうしてもエゴが抜けてないので循環が悪い方へ進みます。可能なら囚われから解放されるのがまず大事なんです。

ここでいう冷静な自分とはありのままの命の状態のことです。

私すらも排除した、ただ命としての存在。

ゼロになったその後でそれでもあ、やっちまった私ってなったら全力で償えばいいし、その全力を理解してもらえないような世界ならそもそも所属する必要はないです。

がしかし、やっぱり自分が間違ってたわけではないけど、でもそれ押し通したら揉めるよな、ってなる時多いですよね。私もこれ多かったっス笑。私の場合は、やっぱりその世界からは離れるという手段を最後は選びました。その世界を否定もしないし変わればいいのにとも思わないです。そのままでいろいろな世界がこの世には存在している。

その時点で問題解決の真の目的が、是非を問うことではなく世界を循環させていくことに帰結するのが本来の健全な社会なんではないかと思うんです。残念だと思うことも多々あります、ですが喜怒哀楽は私達の学びのツールです。悪循環も必要だから起こっているとも受け取れます。要はどちらにも偏りすぎず、滞らず廻り続けるのです。結局、究極?他人の人生の責任は誰も取れませんから。

なので、自分の立ち回り方の方法論ではなく、まずはどれだけ冷静になれる自分を持てるか、ですかね。今までのブログでも触れたことがありますが、瞑想をしたり、何かに集中したりするのが私は一番わかりやすいです。

まん防オタク期間集中、瞑想しまくりでした。すごい頭がクリアになりました。世の中は何も変わらないけど、とりあえず私はリフレッシュし、これから自分を取り巻く世界が少しづつでも明るくなるような、何か私が出来ることをしていきたいと思います。

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